1 琉球士族の誇りとヒューマニズム ある日、正子が帰宅して自宅の門をくぐろうとすると、一人の男の人が小さな包みを抱えて出ていった。門の前ですれ違った男の人は、外国から届いた手紙を正子の父渡嘉敷宗重...
13 どうこうあろうと、子どもたちは平等だ 青空の下、公園を園舎に北都学園を始めた正子は、「保育者と母親の友愛が不可欠」との考えから、開園と同時に「母の会」を組織した。「母の会」会長の吉川和子は、女子高等...
34 新たなる「子どもたちの“館”」 子どもたちを真ん中に地域社会をつくる。その理念のもとに歩み続けてきた社会福祉法人都島友の会。その思いを形にと、保育、教育に加え、児童厚生施設として1964(昭和...
35 児童福祉の拠点、都島児童センターへ 「君、都島にいって保育園を始めなさい」1931(昭和6)年、社会事業の師である志賀志那人の一声で、公園を園舎に始めた青空保育園。地域に初めてできた保育園は必要に...
37 故郷、沖縄に保育園を|正子の悲願 1972(昭和47)年5月15日、この日、沖縄が日本に返還された。二十七年間に亘ったアメリカ軍統治からの「本土復帰」だった。 1972(昭和47)年、地域の児童...
38 故郷、沖縄に保育園を|願いを胸に 終戦から十六年後の1961(昭和36)年、正子は沖縄に帰郷した。沖縄での活動の件で、軍政部の情報官と面会した後、琉球列島政府高等弁務官のポール・ワイアット・キャ...
39 故郷、沖縄に保育園を|風土の中に 煩雑な手続き、費用の高騰と、困難を乗り越えての子どもの殿堂、「渡保育園」の建設。次に待ち受けていたのは、事業を軌道にのせることだった。沖縄を離れて五十年。その間...
40 故郷、沖縄に保育園を | 新しい風 アメリカ帰りの若い設計士によって、「保育園だから」という既成概念を一切とりはらった建物が、古島地域、松島にできあがった。 外壁はコンクリートの打ちっぱなし。ひま...