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花にお日様、子どもに平和
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第25話
社会づくりへの前進
1951(昭和26)年、正子は財団法人 都島友の会の事業の一つとして、都島診療所を開設した。認可を受けた事業内容の「社会事業法による医療保護」の実施だった。 ◇ 都島保育所を開いて間もないある日、保育中に一人の幼児が高熱を出した。急いで親に連絡したが仕事中で連絡がつかないまま時間が経った。当時、都島区に保健所はなく、近隣に病院もなかった。安静にさせて水で冷やして応急処置をするしかなかった。正子は胃...
連
載
25
社会づくりへの前進
1951(昭和26)年、正子は財団法人 都島友の会の事業の一つとして、都島診療所を開設した。認可を受けた事業内容の「社会事業法による医療保護」の実施だった。 ◇...
24
子どもたちの館
再び保育を軸とした社会事業に専念すると都島に戻った正子は、我が子の墓の建立に貯めたお金と、甥である姉の子からの融資をもとに園の再建に取りかかった。1949(昭和...
23
ふたたび、都島へ
戦時中、我が子を病で亡くした正子は、その贖罪からもう二度と保育の仕事はしないと心に決めていた。只々、牧子と健の墓を建立してやること、そして二人の短い一生を記録す...
22
子どもたちが待っている
敗戦後の都会の生活は、食糧難との闘いだった。闇市が横行し、力の弱い者たちは飢えに苦しんだ。このままでは子どもたちを育てていけない、命を守ってやることすら危うい。...
21
不屈、誇り高く
1945(昭和20)年8月15日、玉音放送と同時に三年九カ月に及んだ戦争が終わり、死の恐怖から解放された。そう思った正子だったが、生命の安全はほど遠かった。なぜ...
20
虚脱に沈む
1945(昭和20)年8月15日。正子は疎開先で玉音放送を聴いた。 ◇ 疎開してから三カ月経った6月、大阪への大空襲が再び始まった。6月1日、7日、15日、26...
連載一覧
主な登場人物
About Masako Higa
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OO
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第一弾 比嘉正子物語
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