第14話 お母様方へ

1931(昭和6)年、「北都学園」を「私立都島幼稚園」に改称し、正子は園長に就任した。当時の幼稚園令による認可申請も行なった。さらに「母の会」強化のために保護者へのお便りを送った。
私立都島幼稚園の教育理念の実践にあたり、保護者への理解を呼びかけたお便り『幼稚園よりお母様方へ』の内容は次のとおりだ。
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- まず幼児に、幼稚園は楽しく遊ぶ所、面白い所ということを申し聞かせて、決して幼稚園は、行っても行かなくてもよいというような考えを与えないようにすること
- 先生を脅しに使わないよう、先生は自分達を可愛がり、お友達になったり、又、母の代わりになってくれる人だと思わせること
- 幼児が入園した時は、その日常生活に変化をきたすゆえ、これを利用して、偏食とか朝寝の癖、買い食いその他、よくない習慣を取り去るように、徐々に着手なさいますよう、幼稚園の保母と相談して工夫いたすこと
- 幼稚園に入園してから、度々いろいろな病気をなさるお子さんは、普通の健康体ではないことを、お気づきにならなければなりません。そういうお子様は、なにとぞ保母とよく相談して、小学校へ行くまでに団体生活に慣れるように、又、耐ええるだけの体質にしなければなりません。普通のお子さんで入園後二カ月の間は、規則正しい生活に慣れないため、又、団体生活から起こるいろいろな衛生関係から病気にかかったりするお子様もありますが、これは月が進むにつれてみるみる丈夫になりますからご安心ください
- 幼稚園に行くようになったからといって、その効果は決して一日一日見えませんが、幼児の背丈が伸びるのと同様に、一年くらい経過いたしますと、知らぬ間に心身の状態にその効果は表れるもので、決して日々の課業、唱歌一つも満足に歌えないとか、遊戯ができない、折り紙を覚えない等とご心配なさらないで、安心して幼稚園にお任せのこと
- 幼児に関することは、何事も打ち明けて保母に話し、家庭と幼稚園と提携して、お子さんを強く明るくのびのびと育て上げる覚悟をお持ちになること
- 幼稚園を度々(お買い物の後でもよし)参観して保母に面接し、保育上の意見を交換し傍ら、保育方針を理解なさるよう、お心がけくださること
- 幼稚園においては、自分のことは自分でする習慣をつけるよう努力いたしますから、家庭においても幼児の能力程度に応じて、そのような習慣をおつけになるようにご注意くださること
- 服装は、質素に洗濯のよくきくものをご用意なさるよう、よい衣服をつけさせられて汚したりなどしたとき、怒られることは、最も活動的な幼児にとっては迷惑なことであります
- 幼稚園の持ち物に対しては、すべて姓名をご記入なさること
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子どもをのびのびと育てる自由保育が正子の目指す保育教育の在り方だった。その実現に不可欠な保護者の理解と協力を得るために、正子は『幼稚園よりお母様方へ』の自筆のお便りを刷って送った。
何故、そうするのか。保育者の思いと行動を理解した上での協力を要請した。保護者への要請は同時に保育者たちの覚悟でもあった。正子は私立都島幼稚園の保育者たちに向けても、自由保育とは何であるかを、そのために為すべきことを以下のように説いた。
「自由保育というのは、子どもの意識は自由であって、そこに用意された環境や保育者の心の通った誘導で、豊かな経験や活動を行うことによって、子どもの心身が正しく伸ばされるものをいうのである。いろいろな特徴をもった子どもが集まって、しかも皆平等であるが、勝手気ままは許されない。集団生活の中では、よそでは求めることのできない経験が得られ、そういう所でこそ、皆と楽しく遊ぶには、どうしていけばよいのかを学ぶことができるのである。言い換えれば、子どもたちは、保育所に通って仲間との生活から学習できるのであり、保育者は、その仲間を上手くつながり、活動できるように舵取りをするのである」
子どもたちがのびのびと育つためには、保育者である保母たちの心も、のびのびとしていなければならない。のびのびとした心は、確かな知識と技術のうえに実現できる。正子は保母たちに、自由保育を実践するための知識と技術を要求した。
3月になり、第一回修了児を送る日がきた。幼稚園の認可は下りないままであったが、正子は堂々とした修了式を行なった。園舎の入り口を、「北都学園」の記章入りの幕で飾って、子どもたちを迎えた。五芒星に「北都」の文字を染め抜き、円で囲んだ記章だった。一人ひとり、園長先生から修了証を受け取った子どもたちは、声を合わせて高々と園歌を歌った。
「ささやかであっても、けしてみすぼらしくてはならない」そして「子どもたちには、その時々の、いちばん良いものを」公園を園舎に青空保育園を始めると決めた日から、かたく心に誓ったことだった。子どもたちが、自然と胸をはるような居場所にするのだと、決めていた。園舎はなくとも「北都学園」という名をつけ、記章を入れた園旗を作り、子どもたちと歌う園歌を作った。
園歌を作ろう。そう思い立った正子の頭に浮かんだのは野口雨情(のぐちうじょう)だった。北原白秋(きたはらはくしゅう)、西条八十(さいじょうやそ)と並んで童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情だ。子どもたちとよく歌っている童謡の数々を作ってきた人だった。そんな人が自分たちのために歌を作ってくれたとなったら、子どもたちはどんなに嬉しいだろうか。そう思ったらもうじっとしていられなかった。志賀志那人の伝手を頼って、野口雨情に頼んだ。野口雨情からは、『十五夜お月さん』『青い眼の人形』『七つの子』『赤い靴』でもコンビを組んだ本居長世(もとおりながよ)が作曲をした一曲が送られてきた。
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いつも明るい
都島
ここは楽しい
幼稚園(保育園)
水はずんずん
淀川の
中に仲良く
流れてる
おててつないで
皆遊ぶ
ここは楽しい
幼稚園(保育園)
◇
式の最後に、揃いの帽子を被った園児たちは修了証を手に、「北都学園」の記章を染めた幕を背に記念の集合写真を撮った。
青空幼稚園の時代から、「館」を持ち、私立都島幼稚園へと変遷していく目まぐるしい過渡期を共にした子どもたちの巣立ちだった。
