第2弾 比嘉正子物語 蒼天に咲くひまわりの愛 全30回

エピローグ

比嘉正子は骨の髄まで福祉の人だった。世の中から貧困と不平等が無くなることを夢見て走り続けた。困っている人をそのままにしておかず、だれもが潤いのある生活をおくる社会をつくるのだと、尽きることのない情熱で行動し続けた。正子はその行動の原点、情熱の源泉を父渡嘉敷宗重のヒューマニズムだと言った。

「私の原点は父のヒューマニズムにある」

1980年5月、正子はNHKの番組『わたしの自叙伝 比嘉正子〜米よこせデモのころ』の中で、そう語っている。米よこせデモというのは、配給米の遅配欠配が続く敗戦直後の大阪で、子どもたちを飢餓から救うために、疎開先のおかみさんたちと共に正子が行なった運動だ。この運動に始まった食糧危機打開の運動は、生活を守る消費者運動に発展し、比嘉正子は日本の消費者運動の生みの親と呼ばれるようになった。

消費者運動の生みの親として世に知られた正子だが、本人は「私の本業は社会福祉事業」と言った。さらに「私にとって社会福祉事業と消費者運動は同じ根から育った二本の幹」と言った。

同じ根というのは「生活」であり、「生活を守る」という福祉の心だった。正子は自分を含め人を生活者と呼んだ。そして生活者の中でより弱い者の立場に立つことを旨とした。米よこせデモが子どもたちを飢餓から守るためであったのは、子どもたちが最も守るべき生活者だったからだ。そして、守るべき生活者子どもは、弱き者であるとともに社会の未来だった。

「子どもは国の宝だよ」と正子は折りに触れて言った。また「現実を踏まえて将来を志向する」とも言った。将来を託す子どもたちを守り育てながら、その子どもたちに遺す社会をより明るいものにするために、今の社会をすこしでも良いものに変えていく。世代を継いで、それを繰り返していくことで世の中は、「だれもが潤いのある生活をおくる社会、貧困と不公平のない社会」へと近づいていくのだと信じて、行動し続けた。

1949(昭和24)年、大空襲で焼き尽くされた都島の地で保育園を再開するとき、正子は「保育を軸に地域社会づくりをする」と決心。法人の名を地域と共にある「都島友の会」とし、児童福祉施設を子どもたちの館「都島児童館」と名づけた。2025(令和7)年3月に創立九十四周年を迎えた社会福祉法人都島友の会が受け継いでいるのは、正子が育てた二本の幹の一つ、保育を軸に地域社会づくりを行なう社会事業である。

1949(昭和24)年に開園した都島児童館は、保育園と児童厚生施設を併設し、保育と幼児から学童までの教育を行なった。さらに保育と教育に不可欠な家庭環境、都島友の会の保育理念への理解と協力のある環境を整えるために「母の会」を発足。「かしこいお母さんになる」をモットーに、保育者と保護者の友愛と信頼を育てていった。

消費者運動の生みの親と呼ばれた比嘉正子は、保育においてもパイオニアだった。1931(昭和6)年3月、公園を園舎に青空幼稚園「北都学園」を始めたとき、正子が構想したのは「託児機能と幼児教育を併せもった福祉的幼稚園」だった。幼児教育が富裕層の特権であった当時に「家庭がどうこうあろうと子どもたちは平等だ」と、庶民の子どもたちにも幼児教育を行なった。さらに、この子どもの館「都島児童館」は、どの子どもも、ここに来れば平等に機会が得られる場であった。児童厚生施設では学習のほか音楽や体育などのプログラムを用意し、子どもたちの将来の選択肢を広げる経験の場を整えた。

十年先の町の姿を見据えて、ゼロ歳児保育、障がい児療育と保育の先駆けとして事業を展開。いつしか、保育のことなら比嘉さんのところに行けばいいと言われる存在となった。保育を軸に地域社会づくりをするという目標が一つの到達点を迎えたころ、正子は社会の高齢化に目を向けた。現実を踏まえ将来を志向する正子は、高齢福祉についての構想を始めた。

高齢者が住み慣れた町を離れることなく、人生の最期まで潤いのある生活をおくることのできる地域社会づくり。八十代にさしかかった正子の新たな情熱だった。そして1992(平成4)年11月、最後まで情熱を絶やすことなく正子は八十八年の生涯を閉じた。

比嘉正子の志を受け継いだ都島友の会は、保育施設の拡充を続けながら、1999(平成11)年、デイサービスを開始。2002(平成14)年には、地域あげての取り組みで特別養護老人ホームを開設。2020 (令和2)年、訪問介護をスタート。人生百年時代を迎えた今、「ゼロ歳から百歳まで潤いのる生活を」と謳った地域社会づくりの実現への歩みを進めている。

「いちばん良いものをつくることが地域貢献になるんだよ」という正子の言葉を守り、保育施設は時代のライフスタイルに合わせた施設への新改築を行い、地域の中での保育を展開している。高齢者を孤独にしないという正子の思いを受けとめ、高齢福祉も地域との繋がりの中で行なっている。

揺りかごから墓場まで、生活は地域の中にある。あまねく人を生活者と呼び、生活者の日々を潤いあるものにするための地域社会づくりに、人生の最後まで情熱を燃やした比嘉正子。児童福祉、高齢福祉と歩を進めた都島友の会は、正子の遺志を汲み、地域貢献へとさらなる一歩を踏み出した。

1931(昭和6)年の創設以来、地域の人にとって比嘉正子は、困ったときには頼っていける先だった。比嘉正子亡き後も、社会福祉法人都島友の会が困ったときには頼っていける先であるように、2011(平成23)年、子育て・障がい・介護なんでも相談室「ひまわりネット」を開設。2013(平成25)年には、この「ひまわりネット」を「比嘉正子地域貢献事業研修センター」に名称を改めた。亡くなって二十年が過ぎても、その名が施設の代名詞として愛されていた正子の名を冠したことで、今ではより地域にひらいた施設として活動を充実させている。

誰もが潤いのある生活をおくることのできる社会。貧困と不平等に苦しむ人がいない社会。家庭がどうこうあろうと子どもたちが平等に将来を夢見ることのできる社会。保育を軸にした地域社会づくりと、生活者を取り巻くより大きな社会環境を整えていく消費者運動。同じ根から正子が育てた二本の幹。その種はあまねく生活者への愛だった。

時代がどれほど移り変わっても、人の生活の基本は変わらない。生活は与えられた生命を守る営みだ。その生活を守るために走り続けた比嘉正子。生活者を守ることに命を燃やした比嘉正子。社会が明るい方へ、明るい方へと向かうことを願い、行動し続けた比嘉正子。その「ひまわり」のような愛は、今も、これからも蒼天の下に咲く。

― おわり ―

〈長らくのご愛読、ありがとうございました。〉

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