第43話 町づくり計画の一翼を担う|愛
都島区友渕での児童福祉施設設計にあたり、渡久地歌子が建物の姿に凝らした趣向は町の風土や歴史、新しい町づくりのコンセプト、そして正子の保育と幼児教育への思いを融合したものだった。では肝心の空間設計はどうなっているか。子どもたちを包む空間は、心身を育む大切な環境だ。
「いちばん良いものを提供することが、地域貢献になるんだよ」正子は折りに触れて歌子にそう教えてきた。無一文で始めた青空保育園、戦後の物資不足のなか地域の人々の献身で再建した都島児童館。どんなときも正子は、「子どもたちの館がみすぼらしくあってはいけない」と決めていた。
三つ子の魂百まで。乳幼児期の経験はその子の人生の基盤となる。みすぼらしい環境でその経験をさせてはいけない。力の及ぶ限りの、いちばん良いものを用意する。その環境が生活を愛する心をつくる。そしてきっと将来、明るく豊かな地域をつくる。
歌子の空間設計は、新しく建つ高層住宅で暮らす人たちの感性に合うように細部にまで気を配っていた。
「みすぼらしい格好はしなさんな。高いものを着ろと言っているのではないよ。みすぼらしくないように、身だしなみに気を配りなさい」
「たまにはホテルのロビーに座りなさい。毎日のお昼の外食を少し始末して、ホテルにコーヒーを飲みにいきなさい。いろんな方が、今まであなたが見ていないような方が通るから。コーヒー一杯がお好み焼き一枚より高くても、惜しくはないよ」
そういう時間も過ごしなさい。そういう時間で身につけた豊かさ、優雅さが園の雰囲気に醸しだされていく。そういう空気の中で子どもたちを育てなさい。都島乳児保育センターの事務局で、オムツや昼寝用の布団を選ぶとき、子どもたちにはいちばん良いものを用意しなさい。お金の工面は私の仕事だ。そう言い聞かせると同時に、自分の内に豊かさを養いなさいと教えてきた。歌子は時々、比嘉先生はまた、うるさいことを言うという顔で聞いていたが、歌子の空間設計を見て言い続けてきてよかったと思った。
都島友渕保育園と名づけ、1983(昭和58)年7月開園し、第一期の園児を迎えた。定員を予定していた六十名から九十名に増やしてのスタートだった。その後も百二十 名、百五十名、百八十名と増員し、町の発展とともに都島友渕保育園も発展を続けた。
友渕の町とともに都島友渕保育園が発展を続ける1990(平成2)年、その実績により都島友の会に、再び新たな町づくり事業への参画要請があった。大阪市がJR桜宮駅近くの旧国鉄貨物駅の跡地を、医療、保育、高齢者施設を備えた新しい町「桜宮リバーサイド」として再開発するにあたり、都島友の会に保育部門を受けもてないかと声がかかったのだった。正子はこれを創立六十周年事業に位置づけ、再度渡久地歌子を建設担当に任じた。
1991(平成3)年4月に、ゼロ歳児から就学前の五歳児の九十名を定員に、「都島桜宮保育園」として開園する予定で、歌子は早速計画を練った。設計に対する基本的な考えは都島友渕保育園と同じ、子どもたちの家庭に近い環境づくりをすることだった。町づくり事業の視点からは、新しい町の生活様式と土地の歴史や風土を融和させることに配慮。そして乳幼児の保育空間づくりの視点からは、家庭にいるような安堵感を実現。そしてもう一つ、正子の教えである、けしてみすぼらしくあってはいけない。贅沢なものでなくても、新しい生活様式で暮らす子どもや保護者が、保育園の様相に古ぼけていると感じさせないことであった。
乳幼児を預かる都島桜宮保育園では、子どもたちの家庭に近い環境づくりに力を入れた。鉄筋コンクリートの建物の内部は木肌の柔らかな温もりのある空間にと、ホール、廊下、そして各保育室に木目を取り入れた。そして正子と、正子の志を支え続けた夫比嘉賀盛へのオマージュとして屋根に二つのピラミッドをあしらい、子どもたちの集まるホールの天井に三角錐の高い空間をつくった。将来を夢見た思春期に逝った我が子二人への愛を、今生きる子どもたちへの愛にと、保育に焦熱を注いできた比嘉正子。そして正子の思いを支え続けた比嘉賀盛。二人の大きな愛が絶えることなく子どもたちに降り注がれることへの祈りでもあった。
さらに六十周年を記念してもう一つ職員たちによる趣向があった。夫として、法人の理事として正子の保育への情熱を支え続けた比嘉賀盛は、1984 (昭和59)年12月に他界していた。温和な人柄で、必要であれば厳しく叱責もする正子に代わって、職員たちをやさしく励ます人だった。正子の情熱と賀盛の穏やかさ、その二つが一つになって、保母たちの心を動かし、子どもたちを守ってきた。
その賀盛へのオマージュとして職員一同からの寄贈があった。絵を描いていると心が安らぐと、賀盛はよく絵筆を執っていた。とくに油絵具でひまわりとバラの花を描くのが好きだった。職員一同百二十名で信楽焼の陶板で、横3メートル縦2メートルのひまわり画を作り、園舎二階の外壁を飾ったのだった。さらに一階の外壁には1990 、1991(平成2、3)年度の四、五歳児三百七十名による陶板を飾った。子どもたち、職員、社会福祉法人都島友の会が一丸となった、六十周年を記念する保育園ができあがった。保育を軸に地域社会づくりをする。子どもたちの明日を地域と共につくっていく。その愛と情熱で突き進んできた六十年が、新しい町づくりの一翼を担う事業で一つの花を咲かせた。園舎二階の外壁を飾る「ひまわり」のように。
