第42話 町づくり計画の一翼を担う|町の思い
「友渕地区の再開発プロジェクト、福祉施設を任せるという話だがね、あんたに任せようと思う。やってみないか」渡久地歌子は一瞬驚きを浮かべたが、すぐにまたきたかという表情になった。「やってみないかは、おやりなさい」だと分かっていた。そして今までの経験から、正子が託すと決めた任務から逃げることはできないとも分かっているのだ。
知らないことは学べばいい。理解に必要ならば何度でも教えを請えばいい。よく聞いて、よく見て、よく考えて、やってみる。矛盾を抱えながら最適な答えを見出し、現実を変えていく。生活の環境を整えていく社会福祉の仕事とはそういうことだと、実践の中で覚えてほしい。五十年間、地域の中で続けてきた事業を次代へ繋ぐことも、正子にとっての大きな使命だった。自分は顧問的役割に徹し、プロジェクトを一任することは正子自身への任務でもあった。
「分かりました。でも比嘉先生、児童福祉施設だけにしてください。高齢者施設については経験がありません」
これだけは譲れないという強い意思があった。そこには逃げではなく責任感が見て取れた。
「わかった。任せたよ」
社会福祉法人都島友の会五十周年記念の一つとして、都島の新しい町づくりを支える新しい保育園開設事業が始まった。
明治の産業革命期、水都大阪では水路を活用して製鉄と紡績産業が興隆した。今回の再開発計画地区となった都島区友渕は紡績で栄えた。大企業の工場と、その周囲に下請けとなる中小の工場が林立した。その大企業の一つが鐘淵紡績株式会社(以下カネボウ)だった。カネボウは広大な敷地に、大規模な染色工場に合わせて大量の従業員のための住宅を建てた。それは人々が暮らしを営む町の様相で周囲も大いに賑わっていった。昭和になり戦争、戦後の復興と社会が激変し、高度経済成長を迎えるころには日本の産業は鉄鋼、造船、化学などの重厚長大産業、さらにエレクトロニクスへと主流が移行。人々は都心から郊外のニュータウンへと移り住んだ。明治から昭和初期にかけて隆盛を誇ったカネボウの町、友渕地区もこの波に呑まれ、都島区全体も勢いを失った。
大阪市は都市居住圏としての再興を図り市街への定住施策を打ちだし、都島区も町の再開発に着手した。1982(昭和57)年、カネボウ工場跡に大規模な超高層マンション街を計画。当時日本一高い116メートルのタワーマンションを擁する「ベルパークシティ」の開発が始動。1995(平成7)年に完成、総合分譲戸数は三千五十八戸だった。 同時期、友渕地区には高層マンション群や大阪市住宅供給公社の集合住宅、大阪市営住宅などの建設が進み、総戸数五千戸の一大住宅街ができあがった。
計画された街並は、豊かな水資源を中心に発展してきた土地の歴史を反映し、至る所に水をテーマにした演出がなされた。その姿は、小川が流れ、鎮守の森を残し、桜並木や四季折々の花が咲く緑豊かな中に、モダンなショッピングセンターやスポーツセンターのある住宅街だった。
再開発の皮切りとなったベルパークシティ開発以降も大型集合住宅の開発が続き、総戸数七千戸を超える新しい住宅街ができあがった。暮らしやすい環境と、都心に近接し交通の便もよいということで、ベルパークシティ完成から十年後の2005(平成17)年には、友渕地区は都島区民の五分の一が住む住宅街となった。
都島友の会が担う児童福祉施設の設計、建設そして運営を引き受けたのは、ベルパークシティ開発が始動した1982(昭和57)年だった。
「小さな園だが、あなたの手で新たにつくり、運営していきなさい」友渕地区の児童福祉施設の建設計画を引き受けたとき、正子は担当する渡久地歌子にそう言った。新しい町で暮らしはじめる新しい家族のための新しい保育所。町の次代と都島友の会の次代の融合だと正子は見守った。歌子は新しい町づくりコンセプトに加えて、土地の歴史を園の設計に取り入れた。
友渕という土地の歴史は古く、その地名の縁起は仁徳天皇の時代まで遡る。友渕の“とも”は船泊まりを、“ふち”は川の水の深いところを意味し、遣隋使や遣唐使の船もここに泊まったと住吉大社の縁起にも記されているという。
歌子はこの地名の縁起に因み、建物を停泊している船の形にした。そして土地の歴史に因んだその形には、子どもたちが友だちを求めて、その渕に集まるよという意味を込めていた。「皆、この船までおいで」と。さらに園の形には、もう一つのモチーフを含ませた。昔、鎮守の森があった土地での新しい町づくりには、緑豊かにというコンセプトもあった。そこで歌子は空から見ると、森を羽ばたく鳥の姿に見えるようにした。
横から見ると子どもたちが集まる船、上から見ると森を羽ばたく鳥。豊かな水資源と緑に恵まれた都島友渕地区の風土と歴史に、新しい町づくりのコンセプトを加え、そこに集まる子どもたちの姿をイメージした園の設計。
正子はその計画を聞きながら、新しい園でのびのびと遊び学ぶ子どもたちの姿を想像した。 家庭がどうこうあろうと子どもたちは平等に。将来を開くための経験が平等に恵まれる子どもたちの館。皆、おいでよと両手を広げて迎え入れ、経験を力に広い世界に飛び出しておゆきと送り出す。子どもたちが集まる大きな船も、翼を広げる鳥もその思いにぴったりだった。そしてこの町の新しい住人に、町の歴史や風土を伝える物語にもなる。建物の形や外観の趣向は気に入った。次に正子は、子どもたちを包む空間への考えを歌子に問うた。